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日本の民俗学コミュの質問トピック

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質問&回答トピックです。

ちょっと気になる事があるけど新しくトピックを立てるほどのことでもないっていう事を質問するためのトピックです。

詳しく聞きたい、議論したいというのであれば新しくトピックを立ててください。

コメント(137)

>つくも神様。
恐縮です。私の知っているところでは、京とは違い、地蔵盆は子供たちのお祭りといったニュアンスはありませんが、代わりに大日盆がそれに似た風情で行われているようです。ちょっとした置換えや行き違いのようなものがあったのかもしれませんが、よく理解できていません。資料などが見つかれば、またご報告させて頂きます。火葬や海没のお話も面白そうですね。狭い島国なのにこれだけの地域差が生まれる事の面白さもあります。
>maidさん
火についてはよくわかりませんが、タタラ系の民も火の神を祀っていますね。

柿については、小さい頃、柿の木には登るなと言われていました。
枝が折れやすく落ちて怪我をするからイケナイようですが、
成長した柿の木はゴルフのドライバーに使われるくらい硬いモノのようです。
たまたま、枝の分岐点のところが折れやすいのでしょうか。

庭に実の成る木を植えてはいけないとされていますが、
よく、怪談などで、敷地内の柿の木を傷つけたり切ったりしたら、
家主や近親者の腕や足が同じ様に傷ついたり、不自由になったりした
といった昔話は聞きます。
(柿の木に限った話ではないのかもしれませんが、
私が聞いたことがあるのはたまたま柿の木でした。)
桃栗と比べて実がなるまでに時間が掛かるから
家と関わりが深くなると考えられているのでしょうか。
つくも神 さん

大昔、大学で「民俗学」を取らなくてよかった・・・と思ってしまいました。(苦笑)
つくも神さんの民俗学についての深い考察、よく分かりました。ほんと、意味深いですね。

私は「民俗学」のことはよく分かりませんが、神社が好きなので、旅行先や出張先で神社を見つけるといつも宮司さんか神官さんと1時間ぐらいお話しします。

目的は、その神社の名前の由来と、その土地の名前の由来を聞くことです。
直に聞くので、う〜ん。。。高校1年の時からもう気の遠くなるほど長い間、でも何気に続けていますが(歳がばれますね。。。)いまだに200人ぐらいからしか話が聞けていません。
それらの資料はなくさず取っていて、繋がらないままで「素の資料」として保管しているのですが、先は見えずとも「現在残っている伝承の記録」ということになるかな?と思っています。

特に興味深かったのは、島根半島の美保関という港町の「当屋神主」という不思議な風習です。現在も続いているのがすごい。

あ、また話が飛びますが・・
埋葬に関連して、
「忌(いみ)」という字ですが、今でこそ縁起でない事に使う字になっていますが、「忌」は「斎」と同意で、どちらも「けがれを避けて慎む」という意味があるようです。
>∫μ⊂κ さん
>火についてはよくわかりませんが、タタラ系の民も火の神を祀っていますね。

え、迦具土さまですか?

・・・出雲の奥の玉鋼を作る人や刀匠の方にも会いましたが、しまったなあ。
どの神様を祀っているのか聞きませんでした。
「玉鋼」という名前が実は戦後につけられた名前で、それを付けたのが安来にある何とかいう鉄の博物館の当時の館長さんだとということは聞いたのですが・・・。

今度また近くに行ったら聞いてみます。
>maid様
迦具土とは兄弟分に当たる?須佐之男はmaid様のお話に出てきた安来の地名の由来伴っていますね。(須佐之男は火の神ではありませんが。。。)
http://www.shimane-shinwa.jp/person/susanoo.php

日本は木造建築なので元来、火を嫌います。寺院建築などは魚の象形である鴟尾を飾るなどして火除けとするくらい。台所や竈の神様として火の神様を祀りますが、それとは別に火の神を家中に入れるのは珍しいようです。

ここからは民俗学からはズレてしまいますが、maid様もご存知のことかも知れません。
出雲と伊勢は古来は敵対勢力であったといいます。
出雲や吉備は渡来系の製鉄集団で質の良い武器を作ったため、
大和朝廷側から見れば脅威だったといいます。

桃太郎のお話は朝廷の吉備征伐の話が元になったとの説もあります。
(桃太郎のお付きは猿鳥(雉)犬<->丑寅=鬼、金棒=製鉄集団という構図。
金屋子神も犬を嫌います。
埋葬と関連付けた話だと、
金屋子神は女性を穢れとしているのに対して、
死体は土属性だから金を生むということで穢れとはしていないのが面白いところ。)

ヤマタノオロチの神話では須佐之男が土地の神であるオロチの敵ですから、
その辺(敵味方)が曖昧になっていますね。
面白いのが、成敗されたはずの出雲をその後、神様として祀っていることです。
海外の神話でも敵対勢力を祀ったりすることは異例なのだとか。
ですから、国造り神話等で、出雲と伊勢で神様の性質に違いのある描写がされるようです。
(片方から見た悪でも、逆から見たら正義のような関係。)
須佐之男の二面性はそうやって説明できるようです。

http://www.tvt.ne.jp/~zhilaohu/iron/iron1tatara.htm
アラハバキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD
金屋子神
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E
ヤマタノオロチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81
桃太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E
山の神タタラの神について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1414134744
一つ目小僧。ひょっとこ=火男説
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315859738
(※)「大昔いつの代にか、神様の眷属にするつもりで
    神様の祭の日に人を殺す風習があつた(中略)
    その候補者の片目を潰し足を一本折つておいた」
     (柳田國男「一目小僧」(『定本柳田國男集(5)』筑摩書房1962,p.151より)
つくも神 さん

そう、金屋子神。かなやこ?そんな名前を聞いた覚えがあります。

たたらのことは多少聞いたり資料館に行ったりしたはずなのですが、文にするほどの記憶がありません。物理の本も読んだし、玉鋼も実物に触らせていただいたのに、情けないですねえ。
ただ・・・つくも神さんの104の内容に、何か少し引っかかるところがあるのですが、どこなのか・・・。
104の内容は、いつの時代の話ですか? 江戸? それとももっと古代に近いあたりのことでしょうか?私の興味の対象が限りなく「古代」なもので、それで違和感があるのかしらと思ったり。
・・・古代がターゲットでは「民俗学」にならないかもですね。

私は研究者の本はめったに読みません。
例外的に小松さんと柳田のは読みますが。
大抵は、その現場に行ってそこにいる人に聞くか、古事記・風土記・延喜式・その他の江戸以前の古い資料・たまに元国造の家系の人の、自分の家の特別な儀式について書いてある自伝的書・・・を読むので、結論に達するまでに時間がかかることおびただしいのです。ほとんどたどり着けないままですが。 
何を言いたいのか、分からなくなってきました。すみません。。。


清風 さん

少し前までは土葬をしていたのですよね。日本は。
友人の実家が古い家で、300年ぐらい続いた家らしいです。だから裏山に土葬されたご先祖様の墓があるらしいです。敷地に墓があるのか・・・と驚きましたが、実際には見たことがありません。

埋め墓と拝み墓・・・。初めて聞きました。どんなお墓ですか?
∫μ⊂κ さん

>面白いのが、成敗されたはずの出雲をその後、神様として祀っていることです。
>海外の神話でも敵対勢力を祀ったりすることは異例なのだとか

海外もいろいろで、欧州とアジアでは「龍」が悪魔になったり神になったり・・・。

渋谷に御岳神社というところがありますよね。
ご祭神がすごい。全て怖ろしい神様です。祀らなければ祟られるような。
つまり、オオナムチ(大国主)も天神様も迦具土さまもヤマトタケルも。

南洋の方・・・東南アジアのどこの国だったか忘れましたが、小さな島の風習らしいですが、確か「良い神様」と「悪い(怖い)神様」がおいでで、島民は「良い神様は何もしないが、怖い神様には供物を差し上げないと何をされるか分からない」ということで、怖い神様にだけは供物をささげるのだそうです。
怖い神様を祀る日本と同じだと思いました。
>108
ちょっと伝わっていない部分を補足させて頂きますと
>海外の神話でも敵対勢力を祀ったりすることは異例なのだとか
というのは、討伐して脅威がなくなった敵対勢力は一般に悪として描かれます。

畏怖としての神様は各所にありますが、討伐してしまえば畏怖もなくなるのが普通です。
コントロールできない自然の神などはコレに当たりません。

討伐して脅威でなくなったものを、悪でも畏怖でもなく、神話の中の一神様として
取り込んでしまうという形が珍しいと聞きました。

また、西洋と東洋のドラゴンと龍は別物と考えたほうがよさそうです。
中国での龍は自然神であると同時に支配者階級の民族のメタファーでもあります。
龍信仰の民と牛信仰の民は互いに相容れなく、龍の民が牛を祀ったりはしません。
そういった意味での海外でも珍しいのではないかといった表現です。
龍vs牡牛
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuhvs.htm#3
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14010405.html
>そもそも神武天皇に戦で破れた側が、自分たちのアイデンティティとなるトーテム(竜蛇)を残す事を
許されるのだろうか。旗は奪われ勝った側の旗を拝む事になるのが常識的ではないか。
>>[109]

 龍の起源はメソポタミアにあります。西に行くとドラゴンとなり、東に行くと龍になります。根源的には一緒で、どちらも水や雨などを司ります。
 しかし、インドには実際に大きな大蛇「コブラ」が居たので、アジアの龍のイメージが蛇に近くなったのに対し、西洋では暴虐のイメージが先行し、恐ろしいモノの総称として体が肥大し、その後興ったキリスト教とも相まってどんどん丸々としていきました。それと、西洋ではドラゴンのモチーフにギリシャ神話の「クジラ」があるようなのです。
 もうひとつ、どうもここ等辺には牛を祭る「ミトラ教」との関連もあるようです。
 また、牛は農耕を意味する動物であると同時に、銅文化を象徴する動物でもあります。それに対し、龍は水の司→農耕を意味すると同時に、鉄文化を象徴する動物(?)です。

 日本では銅文化を「ムカデ」が担い、鉄文化を「蛇」が担っています。やはりどちらも相容れない抗争をしていたようです(瀬田橋の藤原藤太伝説…)。

 話が逸れてすみませんでした、正に蛇足でしたあせあせ(飛び散る汗)
うーん…参り墓と埋め墓ですか…

以前話題にした『左回り三周』の風習に通じる部分が有るかも知れませんね…

宮城の方では参り墓と埋め墓が分れてる事例は存じ上げませんが、
心情的に考えれば魂魄思想…死後の『魂』と『屍体』は別物と考える思想なのかも知れませんねぇ…

(単なる雑感、失礼致しました。)
因みに宮城の方では。

確かに屋根を掛けた様な建物が、墓場に隣接するストーンサークル(?)の北側に存在しますが、
それはあくまで建物(霊的な意味を持つ???)であり、
実際には屍体は隣接の墓場、個人の墓に埋葬されます。

そして、通常は、その埋葬された墓に参拝する訳ですから、
もしかしたら両墓制の過渡期・中途半端な形態かも知れません。
皆さんの知識がすごい。なんて素敵なトピックでせう。
読んでいてワクワクしますね。


111 つくも神 さん

葬式の研究をしておいでなんて、すごいですね。
私の知らないことがいっぱいありますが、土葬の話といい、参り墓と埋め墓の説明といい、とてもよく分かりました。大変に興味深い話ですね。
ありがとうございました。
日本の墓の由来?・・・大学でかじった東洋美術史で、インドの仏教遺跡の形から中国の楼閣や日本の塔(五重塔とか)の形ができたことや、卒塔婆(ストゥーパ)の形に発展したことは少し知っていましたが、日本の埋葬について本当に無知であることが分かりました。
差支えなければ、埋葬や葬儀についてもっと知りたいです。
是非、いろいろ教えてください。


109 ∫μ⊂κ さん  
112 Q賀斎 さん

まずったです。
「龍」なんてややこしいものを内包している単語を持ち出した私が悪うございました。すみませんでした。
「龍」は、あまりにもいろいろな価値や起源を持ちすぎるので、うかつに書くべきではありませんでした。
めちゃくちゃ頭のいい、変わり者の知人が「龍」をもう10年ぐらい研究していますが、起源は全然まとまらず話題が広がるばかりです。英語もフランス語もトルコ語も古アッシリア語も分かる人が毎晩古典の原文を読んで邦訳している?らしいので、「龍」についてはこれぐらいで・・・。


113 清風 さん

貴重なお話、ありがとうございました。
こういう目で見て耳で聞いた話が大好きです。
もっと聞きたいです。
こういう話が全日本レベルで聞けるところがmixiのいいところですよね。


115 黒猫伯爵 さん

うわあ、黒猫伯爵さんだ。名前が印象的なので、またお会いできて何だかうれしいですわ。
>116 maidさん
おっしゃるとおり、龍は様々な解釈がありますから、何が正しいというのは正確にはないのかも知れません。様々な解釈を頭に入れて見直すと又違った見方ができて面白いのかもしれませんが、その道の人でも纏まらないとなると、やはり、難しいですね〜。東西での正悪も逆転した例外がないわけではないですし、解釈が全部に当てはまるわけでもありませんからね。

>ストゥーパ
については、建築史で多少かじりました。
宗教建築の塔は他にミナレット、ジグラッド、オベリスクなどありますが、
シルクロードを通じた交流で互いに影響があった部分もあるのかも知れません。
宗教的な断絶はありましたが、古代宗教は多神教で他地域からの影響の流入に寛容だったとも聞きます。体系化されていない時代なので、曖昧なだけかも知れません。
卒塔婆には実際はお釈迦様の遺灰は入っていないので形骸化したものが残ったということになるかも知れません。
法隆寺の柱の膨らみはパルテノンのエンタシスから来ているといった説もありますからね。

>「龍」についてはこれぐらいで・・・。
ごめんなさい、他の方へのご返信を頂いているので、お返ししてソレキリにしたいと想います。ご容赦を。
>>[112]
詳細についてご説明下さり有難うございます。私も記憶が曖昧でしたので助かりました。
実際にいた動物のモチーフで言うと、ワニ説もありますね。(ワニ学者の青木良輔の説)
東南アジアでの龍の絵は四肢があり、ワニに似ています。神様の乗り物とされそれが中国に伝わったそうです。
(水神クンビーラが日本に伝わり金比羅になったとか。日本全国に広まったのは江戸中期頃のようですが。)
ワニが皇帝の輿を引いていたとも、皇帝が精力がつくからとワニの肉を食べていたとも言われます。

漢方薬では龍のひげ(植物)や竜の骨(大型哺乳類の骨、又は恐竜の化石とも言われる)がありますね。

西洋のドラゴンはサラマンダーなどを含めてしまうと実に多種多様です。
中国の竜骨のように、恐竜の化石から想像で肉付けをして様々な形態が生まれたのかも知れませんね。

蛇=龍はある種日本独特のものだとも聞いたことがあります。
江戸期でこそ地震を起こすのは大鯰とされていましたが、時代を遡ると、日本を取り囲んでいた大蛇が鯰に置き換わったような記述があるそうです。
http://www.rits-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf

西洋ではドラゴンのモチーフは神話のクジラですから、西洋学者の外国人がそういった文献に対して、見たてをして、
ドラゴン=龍
クジラ-大鯰=大蛇
という構図から、地震とクジラの関係が囁かれたりしました。
浮世絵の大鯰を見てクジラを連想させたのかも知れません。(以前に詳細を調べたのですが、見つかったら又書きます。)
※オランダの人類学者コルネリウス・アウエハント氏と静子夫人(著)
「鯰絵―民俗的想像力の世界」が元の様です

龍vs牛、蛇vsムカデ
鉄(武器、農具)vs銅(祭器)であることから、牛・ムカデが古い支配階級で乗っ取られた隠喩になってるようですね。

蛇、ムカデで思いつくのが蛞蝓をいれた三竦み。。。
江戸期の歌舞伎のお題目のせいか、今ではムカデが蛙に置き換わってますね。
そうすると、朝廷側はさしずめ蛞蝓ということになるのでしょうか。
しかし、討伐された方のムカデ(蛙)が蛇より弱く、蛞蝓(朝廷)より強い事になってしまい、頭を抱えます。
蛇(脚がない)のに対して、ムカデ(百本の足)という構図が、少数武装勢力が多数の地場勢力を圧倒したことの隠喩としてはうまくできているなぁと想います。

読んでいてちょっと思ったことを。

昔の文献に柿の記載が多いのは、柿が甘い食べ物だったから。昔は柿以上に甘い食べ物はありませんでしたので。

私の主人の実家が、地元で最後まで刀鍛冶をしていたという家ですが、地元でも藩医とか家老職を輩出した家々の並びにあります。その村のメインストリートから離れてないところに「鍛冶屋横丁」がありました。まぁどちらにしても刀鍛冶だったので差別とかはなく、どちらかといえば上の立場だったらしいです。
金屋古神は祀ってますが、迦具土神は祀ってないようです。
[118] ∫μ⊂κ様
ワニ説で思い出しましたが…

青森県には『大鰐町(おおわにまち)』という町が有ります。
…内陸の、しかも山の麓の町なんですが、何故かワニ。(苦笑)

日本にワニは居ないので、鰐とは蛇や水神に関係するらしい…と聞いた事が有りますね。


同じく、内陸盆地地形の遠野。
遠野の河童も、水神信仰が河童伝承を産んだ様ですし。
120 黒猫伯爵 さん

ワニ、出てきますよ。
たたら関連で現在読み進めている出雲国風土記に和爾=ワニ(鰐)という言葉が何度か。
出雲地方ではワニザメのことを今でも「ワニ」と呼ぶと注釈にありました。

海辺の伝承の他に、山奥の話もありました。
もちろん水場が登場します。ワニが美しい女の人に恋をして、その女性のすみかの近くまで川をさかのぼってやって来るという話です。
で・・・
地質学にはあまり詳しくないのですが、風土記が書かれたのが8世紀。その当時の伝承ですから、さらに100年とか200年とか昔の話だとすると、この時代の海面の高さは現在より高かったはずだとおぼろげな怪しい記憶があります。
現在の土地の様子よりも海が広がっていて、現在の山奥は、古代はもっと海に近く、川をさかのぼってワニザメが泳ぐ姿が見られたのではないかと・・・楽しい想像をしていました。
[121] maid様
情報有り難う御座います!!

大鰐町にしても、遠野にしても、いくら海水面が現在より高いとは言え、
かなり何十kmも内陸側の町ですからね。(笑)


おそらく川沿い・川伝いにワニザメが運ばれて行ったのでは無いでしょうか??

…そういう意味では、貴重な海産物・見た事の無い海の生き物を神聖視する内陸の人々の気持ちは解ります。

そういう内陸部の、川沿い・山の産物と海の産物の交易拠点だったのかも知れませんね、大鰐町…
[111] つくも神様
『両墓制』について、少々資料が出て来たので補足致します。


我が宮城県では、両墓制は、ほとんど聞かなかったのですが…

唯一、石巻市渡波地区の祝田浜に於いて、
阿部姓を名乗る一族、七軒にのみ両墓制が代々残されてるという資料が有りました。


そこでは、死体・遺骨を山中に葬り、その場所には『根石』と呼ばれる石を置くのみで、
これを『身墓(みはか)』と呼び。

そこから離れた場所に墓石を立てて、これを『空墓(からはか)』と呼び、
普段は、この何も埋葬されて無い、空墓の方に参拝するそうです。
青森の大鰐についてですが、秋田から津軽にかけては非常にアイヌ語源と思われる地名が多く、漢字は後で当てただけのものもあるので、カタカナで判断したほうがわかりやすいものが少なくありません。
わたしの住む秋田県大館市は、秋田県の北西端にあり、旧津軽藩と旧南部(盛岡)藩の境に接していますが、こんな感じです。

(例)土深井⇒トプカイ 秋田県大館市
   猿間⇒サルマ 秋田県大館市   ≒ サロマ湖、サロベツなど

そこで、大鰐を類似というか近い語源と思われるあたりでみてみると、

・大鰐(oow-ani)
・阿仁(ani) 北秋田
・小阿仁(ko-ani) 北秋田
・兄畑(ani-hata) 秋田八幡平

のように、アイヌ語のaniを含んでいることがわかります。アイヌ語地名は固有名詞というより、その場所の地形であるとか地勢であるとか、目印であるとか、そういうきっかけで名付けられるため、大和地名よりはるかに類似地名が多くなります。

アニ(ani)については、こういう資料がありました。

・「阿仁川は、アニベツにて立木川なり」日本先住民族史
・「阿仁は、夷語あんにより出て、木立の義」大阿仁村発達史
・「アイヌ語アニは居住する谷」日本地名基礎辞典

※参考:秋田県阿仁地方におけるアイヌ語地名について(春日克男)

注意すべき点としては、縄文遺跡の量からも察せられますが、人間と猿の祖先は同じでも、人間の祖先が猿ではないように、北東北にアイヌが住んでいたのではなく、アイヌ語に近い言語を話していた原日本人(あるいはエミシと呼ばれた人々)が住んでいたらしいということでしょうか。
125 つくも神様
宮城県の両墓制の資料ですが。


石巻専修大学・共創研究センター
経営学部・栗山ゼミ
が、教育・学習の一貫として、
現地フィールドワークを行い蒐集・編纂された石巻地域の観光マップのなかに、
歴史探訪番外編のエピソードとして取り上げられてました。

この資料は、当時(2009年か2010年)の学祭で配られた物で、一般流通はしていない、かなりレアな資料です。(苦笑)

…つい先日の地震で崩れた、山積みの資料の中から発見ました。
(以前は両墓制に興味が無かったので、見過ごしてたのですね。)

尚、この両墓制の場所については、両方の場所が写真付きで紹介されております。
フィールドワークで、偶然発見したのか、
それとも事前に郷土史か何かの資料があったのかは判りません。
当時、この資料を入手した時に、詳しく経緯を聞いてれば良かったのですが…残念。
つくも神様
画像添付を忘れました。
この様なマップの資料です。


[125] つくも神様
尚、この資料の中でも、
『祝田浜の奇習 (身墓・空墓)』
というタイトルで取り上げられておりますので、
周辺の集落には、全く存在しない風習だと思われます。

…想像なんですが、そもそも祝田浜という集落は、
家が十数軒しか無い様な小さい浜で、
集落の大半が『阿部姓』ではないのだろうか??と想像します。
(現地に行って確かめた訳では無いので断定出来ませんが。)


資料に有った写真の場所ですが、
法音寺から少し登った丘公園に墓の跡が残されています。…と註釈が付いておりました。

身墓は、平べったい石(見た感じ5〜60cm四方くらいの大きさ)が地面に有るだけですが、
花立てが立てられて参拝されてる様です。
はじめまして。
いつも興味深く拝見させてもらっています。

当方長野市立博物館の民俗学同好会に所属しております。
節目節目で様々なテーマについて調べる、というようなユルい活動をしております。
この冬、県内で行われている小正月行事「どんど焼き」についてレポをまとめています。
近隣の県との同行事の比較といった事でいろいろと情報を集めております。
自分は埼玉県と長野の比較をおこなっておりますが皆様の中で埼玉県在住・出身の方、または知り合いor家族で埼玉県在住・出身いらっしゃる、という方より「どんど焼き」についての情報を教えていただければ、と思いまして。
学術的なカタいレポではありません。
見聞き・体験したお話を教えていただければ助かります。

以下に確認していただきたい事柄を簡単にまとめました。

?上記のような行事は行われているか?

?行われているとすると呼び名、行事の日にちは?

?行事の行われる時間帯は?(朝から準備して昼に燃やす、又は夕方になってから燃やすなど)

?行事を行うにあたり主体は?(育成会・子供行事、地区の大人主体など)

?行事の中で何か作法などは?(書き初めの紙を燃やして高く舞い上がると字が上手になる、燃やした火で持ってきた餅を焼いて食べると風邪をひかないなど)

?行事そのものについての云われ、云いつたえなど。

?行事を行う場所について、特定の場所で行われるのか?またその事についての云われは?

?同行事の日に特定のお約束事(○○を食べるなど)ありましたら。

?長野では集めたお飾り等を2つの山にして燃やすところが殆どですが埼玉ではどうでしょうか?

?その他、上記以外で何かありましたら(同行事での個人的な想い出など)。

都道府県別の民俗史フィーリングの本、サイトなどは様々ありますが実際に体験されてる(された)方のお話をこちらで伺えれば、と思って質問させていただきました。
宜しくお願いします。

一応、今回は埼玉県という事で情報を集めておりますがこちらに集う皆様のそれぞれお住まいの地域でのお話というのも興味がありますので差し支えなければこちらで併せて教えていただければありがたいです。
その際、できましたら○○県の○○地方といったような情報も添えていただければ助かります。
[130] ぽ★す様
宮城県です。
宮城では、全県的に『どんと祭』として広がってます。
(山形でも存在するようです。)


1:『どんと祭』(どんとさい)として、県内各所で開催。

2:1月14日夕刻〜

3:夕刻から点火
※但し、仙台の大崎八幡宮では、同日午後に『裸参り』の行事があり、夕刻から点火。

4:地区主体、又は神社主体。

5:特に無いと思われるが…
どんと祭の火に当たると、一年間は風邪をひかないという言い伝えも一部有る模様。
※尚、山形の方では『ヤハハイロー』との掛け声と共に燃やす、という友人からの情報有り。

6:どんと祭とは別に、小正月の行事自体が、別名『女の正月』とも言われる。

神棚に備えた『繭玉(木の枝に餅を付けた物)』を外すのも、確かこの日だったと思う。
※余談だが、この『繭玉』は、正規の神棚の外に、台所の神(火の神?)にも、
やや小振りな繭玉を捧げる。
小正月では、この台所の神が主神の行事と言われる。
(故に『女の正月』か?)

7:一般的に神社で行われる場合が多いが、何も無い広場で行ってる所も有る。

8:記憶が不確かだが、小正月の行事として『小豆餅(餡餅では無い!!)を食べる習慣が有ったと思う。

9:特に無し

10:特に無し
>>[131]
ご協力ありがとうございます。
こうゆう場でないとなかなか伺う事ができない他県の事例を教えていただきありがとうございます。
山口県の掛け声、珍しいですね。
こちらの地方では掛け声という話はありません。
何か云われ(バックグランド)があるのかもしれませんね。

他にも事例の報告、お待ちしております。
埼玉県の方もいらっしゃいましたら宜しくお願いします。


市立博物館の同好会に参加して(その前身の講座から数えて)4年程になります。
基本、月イチの会合と節目節目で長野市近郊の民俗行事・お祭りなどの見学を行ったり年に一度、ちょっと足を伸ばした感じの行事・祭り見学(霜月祭りの夜神楽など)をおこなっています。
自前で資料、本などで読んでいた事柄を学芸員の先生などのお話を聞いたりや収蔵品を手にとって見たりする事でやり残していた宿題の答え合わせをしているようでなかなか面白いです。
長野市近郊の方で興味の有る方はご参加なさってみてください。
質問させてください。

大塚英志か大澤真幸かそのあたりだったと思うのですが、柳田國男と折口信夫を比較して、「柳田の方が大人だ」というようなことを書いてあった本があったのですが、何という本か分かりますでしょうか?全然違う人の本かもしれません。


アバウトな質問で申し訳ありません。

ざっと読んだところ、高尚な話が多くて、この程度のことを書くのは気がひけるのですが、長年気になっていたことなので…

私は子供の頃、夜更かししていると父から
「早く寝ないとカワウソが来る」と意味不明(笑)の脅しをかけられていたのですが、

カワウソとはなんでしょうか?
ずっと、動物の川獺だと思っていたのですが、ある
時、河童を「カワソ」「カワッソ」などと言う地方
があることを知りました。それで、よく分からなく
なりました。父は鹿児島出身です。
何か、思い当たる方がいらしたら、ご教示下さいませ。
エミシに対するイメージを教えてください
>>[133]
大塚英志原作の漫画『木島日記』に、折口信夫が「柳田先生は私を受け入れてくれない」と拗ねる場面があったように思います。やはり大塚英志原作の『北神伝綺』は柳田國男をめぐる物語で、こちらに出てきた場面だったかもしれません。
>>[135]

東北土着の人々。
恐らく縄文系の血が濃く、言語的にも縄文系で自然崇拝。
ただし、ある程度大和朝廷との文化交流も元々あったと思われる。

俘囚を経て、今は和人に同化し完全に混血している。
恐らく奥州安倍氏、津軽安藤氏はエミシの長だった一族の血が入っていると思われる。

って感じですかね。

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mixiユーザー
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